【音楽監督に訊く】創立から10年、マーラー5番への挑戦。その先にある「新祝祭の未来」とは?

今年2022年、楽団創立10周年を迎える京都新祝祭管弦楽団。その記念公演第1弾となる第7回定期演奏会(2022年9月18日、於・八幡市文化会館)では、グスタフ・マーラーの交響曲第5番を取り上げます。

今回は、創立時から音楽監督であり続け、記念公演でも指揮を務める湯浅篤史(以下、湯浅)に、マーラーの第5番を演奏するにあたっての想いや、新祝祭創立10周年にあたって考えていること、これからの展望を聞きました。

目次

難しい上に重要な曲。だからこそ、いま挑戦する

京都新祝祭管弦楽団音楽監督 湯浅篤史

── 今回、創立10周年記念公演で、マーラーの交響曲第5番を選曲されました。思い入れがある作品なのでしょうか?

湯浅:もちろん好きな作品なのですが、正直に言えば「やりたくない曲」でもありました(笑)というのも、マーラーの交響曲の中でも、5番は特に難しいのです。

7番が最も難しい交響曲だと言われることも多いですが、7番は奏者だけでなく、聴いている側にとっても「難解な作品」ですよね。いっぽう5番は、お客様にとっては「わかりやすい名曲」なのに、奏者にとっては驚くほど「やりづらい」。そのギャップに、独特の難しさがあるわけです。

しかも5番では、どのパートにも重要なフレーズ、「難所」と呼べる箇所が待ち受けています。もちろんtuttiで演奏する箇所のなかにも、難しいポイントがたくさんあります。そういった難関の数々を、全員で乗り越えなければならない。5番は本当に難しく、指揮者としても非常に多くの勉強が必要な、厳しい作品です。

── 新祝祭ではこれまでに交響曲第1番と第4番を経験しましたが、5番はそれ以上に難しいということですか。

湯浅:そのとおりです。でも、難関を乗り越えた先に、素晴らしい景色が待っている作品でもあるでしょう。その証拠に、マーラーの5番がお好きな方はたくさんいらっしゃいます。お客様の中にも、演奏家の中にも、5番のファンは多い。

── 10周年の節目にふさわしい、取り組みがいのある曲ですね。

湯浅:さらにマーラーの人生から考えても、5番というのは大きなターニングポイントで、そういう観点でもこの機会に取り組む意義があると思っています。

交響曲第5番を完成させた頃(1902年)のマーラー

マーラーは、交響曲を10曲書き上げています(*1)。最初に書いた1番は、当初「交響詩」として構想されていたものが、交響曲として仕上げられました。そのあと2番からは、構想段階から「交響曲」として作曲されますが、2番から4番までの交響曲には、すべて歌が入っていますね。この段階までは、マーラーの中で、「交響曲」というジャンルが「人の歌声」や「歌曲の要素」とわかちがたく結びついていたのでしょう。

しかしその次の5番では、マーラーは歌のパートを設けませんでした。純粋な管弦楽作品として、交響曲を作曲した。そして、6番も7番も、同じように管弦楽のみの交響曲です。つまり5番を境目に、マーラーの作曲のしかたが大きく変わっているのです。

── マーラーの中でも、特に重要な作品だと。

湯浅:交響曲第5番は、マーラーの作曲史において間違いなく、ひとつの「山」を形作っていると思いますよ。

ほかにも、5番目の交響曲に大きなエネルギーを注いだ作曲家はいますよね。わかりやすいのはベートーヴェンの《運命》。マーラーが自身の5番に取り掛かるときには、きっとベートーヴェンの5番を意識していたのではないでしょうか。「第9交響曲のジンクス」を信じていたくらいですから(*2)。

また、マーラーが5番を作曲した時期、彼の私生活にも大きな動きがありました。作曲家の人生を知ることも、曲に親しむ効果的な方法のひとつです。たとえば、作曲家の人生を描いた映画を観てみてはいかがでしょうか。

マーラーを描いた映画としては、ケン・ラッセル監督の『マーラー(1974年)と、パーシー・アドロン/フェリックス・アドロン監督の『マーラー 君に捧げるアダージョ(2010年)があります。前者は、公開から50年弱経った現代でも素晴らしさが薄れない傑作で、5番を使った『ヴェニスに死す』のパロディも登場します。後者はマーラーと妻アルマとの関係をドラマティックに描いた作品。どちらもおすすめですよ。

(*1) 《大地の歌》を含めると、完成した交響曲は10曲。交響曲第10番は未完に終わっている。

(*2) ベートーヴェンが第9番の完成後、第10番が未完のうちに亡くなったことや、ブルックナーが第9交響曲を完成させないまま死去したことを意識したマーラーは、交響曲第8番のあとに完成させた交響曲《大地の歌》に、本来付されるべき「第9番」の番号を付与しなかった。そのあと作曲した器楽作品をマーラーは交響曲第9番としたが、次の第10番を完成させないままに亡くなり、結局「第9交響曲のジンクス」は成立してしまう。

高校時代の衝撃を胸に、新祝祭でもエネルギーの高い演奏を

── マーラーの作品に初めて触れたのはいつですか?

湯浅:堀川高校(現:堀川音楽高等学校)に入学した頃ですね。初めて生で聴いたマーラーは、バーンスタインとニューヨーク・フィルハーモニックの来日公演での第1番《巨人》です。佐渡裕さんなど、学友と共に聴きに行ったのですが、あのときの衝撃は今でも忘れません。指揮をするバーンスタインが、マーラーその人のように見えたのです。

ほかに、ショルティとシカゴ交響楽団の演奏にも大いに驚かされました。オーケストラが、あんな響き方をするとは。本当にびっくりして、感激しました。

今思うと自分の高校時代は、素晴らしい時代でしたね。バーンスタインとショルティが英語圏のオーケストラとともにマーラー全集の録音に取り組んでいた頃で、日本でもマーラーブームが起こりつつあるときでした。良い時期に、マーラーと出会うことができたと思います。

── ニューヨーク・フィルもシカゴ交響楽団も、湯浅先生のその後の留学先であったアメリカを代表する楽団ですね。

湯浅:そうですね。特にシカゴ交響楽団は、当時マーラーの5番を十八番としていました。演奏旅行のたびに5番を携えて、各地で名演を繰り広げるのです。

トランペットのアドルフ・ハーセスと、当時まだ若かったホルンのデール・クレヴェンジャー、ふたりの名手が揃っていたのも大きかったでしょう。レコードにも、彼らの名前がソリストのような扱いで載っていることがありました。

── そういう部分からも、各パートの奏者にとって難曲だということがうかがえます。

湯浅:新祝祭でも、プロメンバー・アマチュアメンバーともに、みなさんかなり気合を入れて曲に向き合ってくださっています。これまでに演奏した1番と4番の経験を活かしながらも、今回の5番で、まったく新しい風景を見られるのが楽しみですね。

── 新祝祭のマーラー第5番は、どういった演奏にしたいですか?

湯浅:トロンボーンで参加してくださる呉信一先生が、サイトウ・キネンオーケストラに参加されたときのお話を聞かせてくださったことがあります。「最初のリハーサルではオーケストラがてんでばらばらで、いったいどうなることかとハラハラした。でも、最後の最後には、ちゃんと曲がまとまっていくんだよ」と。

今回取り組むマーラーの5番はまさに、最初からうまくまとめようとすると失敗してしまう曲だと思います。作曲家が、自分の言いたいことをたくさん詰め込んだであろう作品ですから。個々のメンバーの表現を決して抑え込むことなく、それでいて全体の構成は見失わず、高いエネルギーを持った演奏ができればいいですね。

育んできた「新祝祭カラー」を、より鮮やかに表現できる未来へ

── 京都新祝祭管弦楽団は、今年で創立10周年を迎えます。創立時以来の音楽監督として、感じておられること、考えておられることをお聞かせください。

湯浅:まずはこの10年間、このオーケストラとご一緒できて、とても幸せだったという気持ちです。私は今年で60歳なので、50歳から60歳にかけての時間を新祝祭とともに過ごしてきたことになります。そして今度、マーラーの1楽章で「葬送行進曲」をやるわけですが(笑)とにかく、あっという間の10年でした。それは、このオーケストラと過ごす日々が充実していたせいでしょう。

この10年間、たくさんの演奏会を開催しました。委嘱作品も書いていただけましたし、海外公演も実現しました。プロ・アマチュア問わず、長く関わってくださるメンバーもいれば、新しく入ってきてくださるメンバーもいて、いつも楽しく音楽に向き合うことができました

その過程で、演奏はもちろん、運営面でも大きく進歩したと思っています。極端な話、演奏面だけなら、上手な奏者さえ集めればうまくいきます。でもそれだけでは、オーケストラは成り立ちません。コロナ禍でプロオケが簡単に危機に陥ってしまったことからも、オーケストラ運営の難しさが改めてわかります。

オーケストラというのは結局、人がいないとできない営み。10年経って改めて感じるのは、たくさんの方に支えられることによって、初めて自分たちは音楽ができているのだということです。オーケストラのみなさん、ソリストの方々、スタッフの方々、そしてもちろん応援してくださるお客様、地域の方々……多くの人々のおかげで、ここまでやってこれました

── ここからまた、次の10年が始まります。新祝祭には、どのような未来が待っているでしょうか。

湯浅いっそう魅力のある楽団へと成長していきたいですね。そのためには、自分たちの歴史、オーケストラとしてのアイデンティティを再確認するプロセスも必要でしょう。今回のマーラーと来年1月のベートーヴェンを通じて、これまで歩んできた道を振り返り、自分たちの魅力はどこにあるのか、改めて考えることができればと思います。

オーケストラは生き物です。メンバーが変わると、演奏にも変化が現れる。しかし、それでもやはり変わらない部分、アイデンティティがあるのです。そういった個性を持つオーケストラを、私は優れたオーケストラだと考えています。

新祝祭にも、これまで育んできた個性、「新祝祭の音」があります。次の10年ではそれをもっと深く追求し、表現したいと思っています。

具体的にいうと、「まったく新しいプログラムにトライしながら、これまでのレパートリーを違う文脈で取り上げ直す」といったことをイメージしています。

たとえば、これまで取り上げてこなかったフランスものや、武満・芥川・黛などの邦人作品などに挑戦してレパートリーを広げる。一方で、以前チクルスに取り組んだブラームスを、シューマンなどほかの作曲家と組み合わせて再度取り上げることで、作品や作曲家への理解を深めていくのもよいでしょう。

このような取り組みを通じて、オーケストラのキャパシティを3次元的に拡大したい。その中で、新祝祭ならではの魅力を、さらに鮮やかに表現していきたいですね。

京都新祝祭管弦楽団 第7回定期演奏会

日時:2022年9月18日(日)14:00開演(13:15開場)
会場:八幡市文化センター 大ホール + musemoでのオンライン配信

指揮:湯浅篤史
ピアノ独奏:塩見亮

[プログラム]
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調

[チケット]
入場料:2,000円(全席自由)※未就学児のご入場はご遠慮ください
ライブ配信:1,000円(10月23日まで何度でもアーカイブ視聴可能)

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